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以下は2008年に別のブログで書いた『高岡英夫との出会い』です。

今から十数年前の学生時代、僕はある武道団体に属していた。
大学では、体育会の主将だったから、武道の修行が僕の青春時代だったと言ってもいいかもしれない(今は全然、そんな雰囲気ないだろうが)。

当時、一日の練習時間は6時間ぐらいやっていたのではなかろうか。
毎朝6時からロードワーク、ストレッチ、シャドー、サンドバック、筋トレ・・・朝だけで2時間~2時間半くらいしていた。
腕立て伏せ(正確には、拳立て伏せ)1000回とか1000本蹴りをやっていた時期もあった。

常に10kg~20kg重い相手とスパーリングするには、それぐらいこなすしかなかった。
そのころは、サンドバックやミットをたくさん叩いて、スパーリングを多くこなして、ウエイトトレーニングをすれば、強くなる、と考えていた。

その頃、疑問だったのは、筋トレをすればするほど頭の働きが悪くなるように感じていたことだった。
疲労感のせいかとも考えたが、疲れがとれても頭の働きが戻った気がしない。
トレーニングを重ねるほど、不思議に自分が弱く、もろくなってくる実感がわいてきて、それを打ち消すようにさらにトレーニングを重ねていった。

今、思えば誤った練習で、身も心も固くなっていったのだが、当時の自分には全くわからなかった。

高岡英夫と出会う数年前の話である。

大学を卒業してから3年ほど武道、格闘技の世界から離れていた。地理的にも時間的にも、当時は合わなかったのだった。

3年たち、少し落ち着いてくると身体の中にある虫が騒ぎはじめた。
「強くなりたい虫」である。
この虫は、たいていの男性が持っているものだ。
でも、多くの男性は、この虫が自分の中にあるのを自覚しながら「そのうちに・・・」などと言い訳をしながら、一生を終えてしまう。
だが、僕もそうだけれど、そして他の武格系のゆる体操教師もそうだと思うのだが、もう虫の命ずるまま(笑)なんですね。

そんな頃だった。
高岡英夫という名前をはっきりと認識したのは。

もう10年近く前のことだ。
『格闘マガジンK』vol.5を手に取った瞬間、この時がその後の人生を変えることとなる。

僕は、この雑誌の編集長であった山田英司氏のファンと言ってよかった。『フルコンタクトKARATE』編集長時代から、海外生活をしていた時期を除いて、ほとんど毎号目を通していた。山田氏は「やる側の立場」「偽者は許さない」「体験したものしか信じない」という編集方針で、この辺に僕は好感を持っていた。

その山田氏が突然、特集で、そして表紙で高岡英夫を取り上げたのだ。
それまでなら、表紙はアンディ・フグだったり、フランシスコ・フィリョだったり、ブルース・リーだったりしたのに・・・

「なんだ、今回の特集は?高岡英夫って?」と思いながら、僕は表紙をめくっていった。

それまでも「高岡英夫」という名前は、見たことはあった。
なんか武道論の難しい本を書いている人、ぐらいの認識しかなく、著作を手に取ったこともなかった。
武道論で強くなるわけがない、そんな暇があったら拳立てだ、と考えていて、その手のものは毛嫌いしていたのだった。

さて『格闘マガジンK』の特集は
・山田編集長の高岡英夫にたいするインタビュー
・高岡理論の空手を公開
・大山倍達、フランシスコ・フィリョのDS図(身体意識図)と解説
・大山倍達の身体意識を体現した高岡英夫と格K編集部員のスパーリング
・高岡英夫の合気を編集部員が体験
・身体意識トレーニングのグッズを編集部員が体験
などがあった。

正直『格闘マガジンK』の高岡英夫特集は、よくわからなかったというのが感想だった。
しかしながら、高岡理論の空手にある割体の突きには目を引くものがあった。突きを放つ高岡英夫の姿に、僕は超一流のボクサーが試合で相手を倒すときのパンチと同じものをなにかしら感じた。
そして、なにより驚いたのが高岡理論にたいする山田編集長の食いつきっぷりだった。

わからないまでも、読んではっきりしたのは、高岡英夫の合気は、相当高度な身体使いによってできている、ということ。そして、山田編集長が「金の鉱脈を掘り当てた」と言わしめるほどの内容がある、ということだった。

読み終えてからは、この高岡英夫って何者?と気になってしかたなかった。
そして、次に行動を起こすのだった。

次にしたのが、本屋に行って高岡英夫の本を探すことだった。
当時は、パソコンも持っておらず(検索サイトもメジャーでなかった)、とりあえず本屋へ行ってみた。

幸い、僕が最初に寄った書店、ブックスなかたは偶然、BABジャパンの出版物を積極的に手がけている店で『極意化の時代』と『極意要談』を買うことができた。

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そして『極意化の時代』を僕は読みはじめ、第一章の段階で驚愕することとなる。

はじめて読んだ高岡英夫の著作が『極意化の時代』だったのだから、当時の僕が驚いたのは無理はなかった。

三十代で武道・武術の極意を全て体現?
雪上練習二十数日で、基礎スキーの元全日本チャンピオンに滑り勝った?

正直、この人は詐欺師だ、と思った。
しかし、『格闘マガジンK』のことを思い出し、読み進めた。
結局、身体意識については、よくわからなかった(今みたいに入門書的なものもなかった)。

謎の人物、高岡英夫はますます謎の人物になっていった。

高岡理論の一端でもわかりたい、と考えた僕は、運動総研の前身であるDS(ディレクト・システム)社からカタログを取り寄せた。なにかトレーニング器具を使えば、わかるかもしれない。
そして届いてから数日後、一番安かった鍛錬具を注文したのだった。

それが僕の身体に革命的な変化をもたらすとは、夢にも思わず・・・

どんな物かも知らず「仙棒」を注文したのは、前にも書いたように、安かったから、それだけの理由だった。

注文をして数日後、商品が届いた。
その日の夜のことだった。

付属の説明書を読み、椅子に座って、書いてある通りに仙棒を腰に装着し、立ち上がってみた。
すると驚いたことに、全く今までと姿勢が違っているのだ。
姿勢が良くなっている。
いや、驚きという感情をとうに超えていた。

僕は子供のころから、姿勢がよくなかった。猫背のバナナ腰で、これは遺伝だからとあきらめていた。
父も、父方の祖母も、そんな姿勢だったからだ。
僕と同じように姿勢が悪かった人は、わかるだろうが、悪い姿勢というものはそもそも治すことができない。
治しようがない、と言ったほうが正確かもしれない。

それが、この仙棒を腰に着けるだけで、たった3秒(もっと短かったかもしれない)で解消されてしまったのだった。

うれしかった。

そして、猫背が治った姿勢で歩いてみると、実によく進む。腰が後ろから押されるような、足が勝手に前に出て行くような、今まで味わったことのない感覚だった。

これも驚きだった。
今までの歩き方は、なんだったんだろうと思った。

こんなものを開発してしまう高岡英夫は、すごい。別のものも買ってみようと考えるのも当然のなりゆきだった。
そして、僕はさらにDS社のカタログを物色することとなる。

この仙棒、今は販売していない。
ま、いろいろと方針があるのでしょう。

運動総研に「仙棒ください」って電話しないでね。

僕の場合、腰のポジションが極端に悪かったので、仙棒をつけて劇的な効果があったのかもしれない。すべての人が同じような経験をするとは、限りません。

それにしても、今、販売していないのは惜しいなぁ。

次に注文したのは、達人セットだった。中身は、ゆる(現在の基礎ゆる)のビデオと統一棒(現在のゆるゆる棒)だった。

達人セットが届いた日の夜、早速見てみた。

ゆるのビデオは高岡先生が実際に指導しているところをビデオ撮影したものだった。少し、説明をした後、実際の指導に入る。

その時、思った。
「ゆる、ってそのまんまや!」
愕然とした。

これで強くなるのか?
これがトレーニングなのか?

まぁ、それでも気をとりなおしてやってみた。

だんだん、ゆるが進むうちに、うなったのが足のゆるだった。
高岡先生は足の中の骨までゆるめていくのだが、僕の足はピクリともしなかった。

どうして、こんなことができるのか?
この差は、なにか?

高岡英夫は、どんな能力の持ち主なのだろうか、と思った。

あと、もう一つ印象的だったのが、Vゾーン体操だった。
Vゾーン体操だけは、当時からあった。

体操の印象自体も、もちろんインパクトがあるのだけれど、指導している高岡先生の笑顔が非常に印象的だった。
こんないい笑顔の出せる人間は、そういない。

なんなんだろう、この人は・・・そう思った。

それからというもの、仕事が終わって帰宅してから、ゆるのビデオを見ながら夜な夜な実際にやってみた。
やったことがある人はわかるだろうが、基礎ゆるは、ゆる体操ほど気持ちよさを強調しない。
それでも少しずつ身体がゆるんでいくとなんとなく楽な感じ、気持ちいい感じはした。けれども、同時に軽い不安感も覚えたものだった。

今になってわかるのだが、当時の僕は心身(すなわち人格)を固くすることによって作り上げていたので、それがゆるんだ領域に入ることに対して、潜在的な恐怖があったのだろう。

『極意と人間』に、ゆるができない青年の身体意識図がのっているけれど、今もそんな人がいるんだろうなぁ、と僕は自分の経験を通して思ったりもする。

さて、高岡英夫は、すごい人なのでは?と思いはじめた僕だったが、あいかわらずDS(ディレクト・システム)理論はよくわからなかった。
だから僕は「習うより慣れろ、だ」と次々と高岡英夫の書いたものを読んでやることを決意した。

手始めは『秘伝』だった。
『秘伝』とはそれからのつき合いになる。そのころ、手に入ったバックナンバーもすべて買い揃えた(だから今は、10年分以上ある)。

それからDS社の『身体意識』定期購読し始めた。これもバックナンバーから全部買った。
『身体意識』は何度かこのブログでも取りあげたが、説明するとDS社が月一回、発行していた新聞だった(1998年1月~2001年1月の期間やっていた)。

内容は非常に豊富で、特集はたいてい高岡先生のインタビューで、他にも高岡先生が世の達人を語る『達人批評』、松井浩さんのコラム、以前も書いたけれど松井浩さんが元トップアスリートの身体意識に迫る『極意探求』など、実におもしろかった(特集のごく一部は『スーパースターその極意とメカニズム』(総合法令社)におさめられている)。

そうそう、あと高岡先生が毎月、焼きソバのレシピを紹介する『ヒデちゃんの焼きソバの帝王』というお茶目な企画もあった。今、読んでもこの焼きソバうまそうだなぁ。

この『身体意識』値段は、一部100円だった。
あきらかな原価割れである(送料こみの値段です)。
この値決めからして、高岡先生の身体意識理論を広めようとする意気込みが感じられないだろうか?

話を戻して、僕が最初に読んだ『身体意識』1999年3月27日発行のものだった。
読みすすめるうち、6ページ目の右隅に目がいった。
この記事が僕をして、はじめて高岡英夫を目撃させるきっかけとなるのだった。

何が僕の目を引いたかというと、『身体意識』の右隅にDS社の講座「ゆる&統一棒」の無料パスポートがついていたのだった。

10年くらい前は、今より講座の料金が高かった。だから、『極意を教える』の講座を受けるにしても、かなり思い切らねばならなかった(注)。
だから、この無料パスポートは、僕にとって渡りに船だった。

数日後、考えた末にDS社に受講の電話をかけることにした。

(続く)

注)当時は講座の種類も少なく「極意を教える」「総合呼吸法(現在の呼吸の達人)」「文化気功(現在の宇天気功)」が主だった。

申し込んだ講座は、「ゆる&統一棒」と「極意を教える 初級 質重量体操法」だった。
その頃は、月例の講座をまとめてではなく、一つだけでも受けることができた(現在は違います)。

受講の目的は、DS社の講座がどんな感じで行われているか知ることだった。
というのも、高岡理論がいくら優れたものであっても、講座に変な人が集まるような教室だったらイヤだなぁ、と思っていたのだ。講座の様子もよくわからなかった時期である。
講座を指導するのは、高岡先生ではなく、DS社の指導員ではあったが、それでも感じはだいたいわかるだろう。

そんなことを思案して申込みを終えた。

高岡英夫との実際の出会いが刻一刻と近づいてきているのを、僕は知らなかった。

10年近い前の僕は内容もわからず、スケジュールが合ったという理由だけで「質重量体操法」の受講の手続きをしてしまったのですが、このような申し込みの仕方は全くおすすめできません。
運動総研の受講歴の浅い方は、講座のタイトル名や生半可な知識で受講の決定をするのではなく、できれば信頼と能力のある方から適切なアドバイスを受けて、選択するのがいいと思います。

「自分には、そんな人いないから・・・」という方もいらっしゃるかと思いますが、そういう人と縁をつくっていくことも身体をゆるめる努力の一つなんですよ。

初めて講座を受ける日、僕は朝一番の特急サンダーバードに乗り、大阪へ向かった。
午前中の講座を受けるには、石川からだと朝一番の特急列車に乗らないと間に合わないからだった。

会場は、今でも運動総研が使用しているUHA味覚糖であった。
指導していたのは、DS社の指導員。
最初の「ゆる&統一棒」は、ビデオで見たとおりだった。
そして、ひととおり終わったのち、「質重量体操法 初級」に入った。
「質重量体操法」は、他の武道、武術団体でも似たようなメソッドがあり、その知識は持ち合わせていたので、真新しさは感じなかった。数ヵ月後、中級を受けて「そうなのか!」と驚くのだが、これは後の話。

さて、講座も終わりにさしかかった頃である。
突然、予期せぬかたちで、高岡英夫との出会いがはじまるのだった。

運動総研のどの講座を選ぶか、その判断基準として、上達の<5W1H>は欠かせない要素だろう。

「上達の<5W1H>」とは、『スポーツ・武道のやさしい上達科学』で高岡先生がはじめに述べているもの。

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高岡先生は、よく『スポーツ・武道のやさしくない上達科学』と冗談で言うくらい、最近の著作に比べて読みやすい本ではないので、健康目的の人が学習する必要はないけれど、「○○のために、ゆる体操を習っている」とか「ゆる体操で、△△になりたい」とか明確な目標がある人は、下の画像をクリックして、上達の<5W1H>を学んでね。

「質重量体操法 初級」も終わりにさしかかったころだった。
突如、会場の後ろのほうから声が響いてきた。
言葉は「やぁ、ご苦労さん」といった感じのごくありふれた表現だったのだが、その声は非常に特別なものだった。

地の底から低く響くようでありながら、明るく人を引きつけるような・・・一言でいえば、非常に存在感のある声だった。今までの人生でこんな声質を持つ者は一人としていなかった。

まだ、姿かたちも見ていないけれど、これが高岡英夫か!、と思った。

確かにそれまでもビデオで高岡先生の声は聞いていたはずなのだが、生で聞いたときの印象は全く違うものだった。

高岡英夫が、どのような人物なのか、なぜ回りに人が集まってくるのか、その一瞬で僕は全てを悟った気がした。

高岡先生は、そのまま会場をまわりながら、各グループにアドバイスをして回っていた。
そして、しばらくすると時間になり、講座が終わると、前に出て受講生に対して話をはじめた。

僕は最初、その声に驚いたのと同じくらい、話のおもしろさに驚いた。
おやじギャグは気になったものの、ボケの幅やそのタイミング、時折見せるおちゃらけぶりは、もともと武術の先生とは全く思えなかった。
UHAの講座の参加者の大半は、関西の人のようだったが、関西人のハートをがっちり掴み取るほどのトークだった。

話の内容は、優れた身体意識を体現するとどうなるか、ということを焼きソバを作る話と絡めて、実にわかりやすく、かつ楽しく解説していた。

講座が終了し、帰りの特急で考えた。
別に変な参加者もいないし、高岡英夫という人はやはりかなりの人なのかもしれない、こうなったら一度、本格的に講座を受けてみようか・・・でも・・・高いしなぁ・・・

それから、何日ぐらいしてからだろうか、DS社からダイレクトメールが来た。

DS社からのダイレクトメールには、ゴールデンウイークに行われる講座の案内と割引券が入っていた。

よかった、これなら参加できる範囲の金額だ。

そう思い、数日してからDS社に電話し「極意を教える初級第一教程」「極意を教える初級第二教程」の申し込みをした。

なにか自分が、達人になる道が開けたような気がした。

あくまで気持ちだけである。あの頃は極意を体現することがこんなに難しいものだなんて思わなかった。
なんであんなに甘く見てたんだろうね。

1999年のゴールデンウイークに僕はDS社の「極意を教える初級第一教程」「極意を教える初級第二教程」を受講するため、大阪へ向かった。

会場は、UHAではなく、南港のサンピアだった。

サンピアに到着すると、時間があったのでロビーで休んでいた。
他にもDS社の講座を受けにきたらしい人が何人かいたので、声をかけ雑談をした。

しばらくすると、受付の時間になった。

受付のテーブルのところに行くと、そこには下瀬先生がいた。

受付に行くと、そこには大柄な男性が下働きをしていた。

その男性は、ただ単にスポーツをしていた人ではなく、なにか武道・武術・格闘技をやっていたであろうことは、以前、同じ世界にどっぷりいた僕にはすぐにわかった。
そのいかつい男は大きな身体を屈ませて、せっせとなにやら仕事をしていて、その姿に好感を持った。DS社の社員はよく仕事をするじゃないか、と思ったのである。
でも、今にして思えば社員ではなく当時は、パートがアルバイトだったのかもしれない。
今や、運動総研の指導員然とした下瀬先生もその頃は、いかにも新入りの人という感じで、坊主頭だった。

僕は、丸刈りのいかつい男を横目で見ながら受付を終えた。

その後、会場に入って数十分たってから、ワークショップ(講座を当時は、そう言っていた)がはじまった。

そして「極意を教える」がはじまった。
教えていたのは、当時の指導部の人たちだった。
皆、ソフトな雰囲気で、受付にいたような、いかつい感じの人はいなかった。

この辺は今も変わらないだろうが、ゆる(現在の基礎ゆる)と統一棒(現在のゆるゆる棒)でウォーミングアップをしてから、講座ははじまった。

「センター」を受けて、気分はもう達人だった。これで達人になれるなんて簡単、と思った。
今、思い返せば恥ずかしい・・・

「歩法」で、歩くことが即トレーニングになるというのが、おもしろかった。歩くって簡単じゃないんだな、高度な運動が隠れてるんだな、と思った。

「ベスト」は、上半身の運動を腕や手で解釈していた僕にとって新鮮だった。

そして、これが「ジンブレイド」か!と感動した。本で得た知識で期待がパンパンになっていたのだ。ホントは全然できていなかったのにね。

この時の「質重量体操法」は別の意味で印象深い。
組んだ相手が、なんというか、今でいうスピリッチュアル系満々の人だった。途中でわからない宗教的なポーズをとりはじめたり・・あつかいに困ったものだった。

「フルクラムシフト」で下半身の固さを実感した。これは下半身だけでなく、頭の固い方にもおすすめです!

こんな感じで講座は進んでいった。そして、僕は「リバース武蔵」で超大物受講者と出会うことになる。

リバース武蔵」でふたりづつペアになる時、僕はあぶれてしまった。
どうしようかと思い、まわりを見まわしていると、もうひとりあぶれている人がいて、その人と組むことになった。
声楽家の浦野智行さんと組んだのは偶然だった。

浦野さんがすごい人らしい、というのはそれまでの周りの人の反応でなんとなく感じていた。

実際、組んでみると、なんか知らんけど能力が高い人やなぁ、というのはすぐわかった。他の人と集中力が全く違うのだ。
今にして思えば、それは緩解的意識集中が段違いのレベルだったのだが(究極の身体サイトを参照のこと)。
髪を振り乱して、リバース武蔵に打ち込む浦野さんの姿は、鬼気迫るものがあった。

「リバース武蔵」は、おもしろかった。
詳しくは『丹田・~』を読んでもらいたいのだが、初心者でも相手が前面で受けているのか、後ろで受けているのか、わかるのが興味深かった。
そう思って、浦野さんの相手をしていると、「やり方が良くない」と突然、横から来た人に注意された。
声の主は、例の受付にいた、いかつい男だった。
指摘を受け「なるほど。DS(身体意識)トレーニングは、細かくてきちんとしてるんだな」と思った。

それにしても浦野さんのジャージ姿は、もうひとつだった気がした。やっぱり声楽家である浦野智行さんにはタキシードが似合う。

この時の講座の合間(確か第一教程と第二教程の間だったと思うが、記憶があいまい)、高岡先生が合気を公開すると予告されていた。

僕が、講座に参加した理由は、半分が高岡メソッドを学ぶことであり、あと半分は実際に公開された武技を見て、高岡英夫が本物かどうか見極めたい、というのがあった。

だから、合気公開の会場には早めに入り、最も見やすい最前列に場所をとって、この目で確かめるべく、高岡先生を待った。

『極意化の時代』を読んだ時に感じた「高岡英夫は本物なのか?」を見極めるため、合気公開に際し、僕は一瞬たりとも見逃すまい、と気合いを入れていた。

合宿の参加者の大半が集まり、しばらくしてから高岡先生が入ってくる。そして、少し合気について解説した後、いよいよ武技の公開がはじまった。

高岡先生の相手役をつとめたのは当時、指導部にいたK氏だった。

K氏が登場した時、僕のとなりにいた人が「あっ、雑誌でやられてはる人や!」と叫んだ。
「やられてはる人」という関西弁が妙におかしかったので、今でも覚えている。

そして、K氏が高岡先生の手首を取り、合気の実技がはじまる。
ここで僕は大いに失望することとなる。

僕が見た合気の実技は『合気という奇跡』とはぼ同じものだった(実技に興味のある人はDVDをご覧ください)。

高岡先生が「フンッ!」と合気をかける度に「オォー!」とどよめく一団もいたが、二度三度繰り返されるうちに、あれだけふくらんでいた僕の期待はみるみるしぼんでいった。

これって、本気でやってるの・・・?

本気かどうか、わからんやろうが・・・

俺は、こんなものを見にわざわざ大阪まで来たのか・・・

『格K』で山田編集長が書いていた、かなり上手い身体の使い方も全くわからなかった(そんな知識すらなかったのだから、当然だが)。

目の前の光景にたいして、急速に興味を失った僕は、石川に帰ってから何をしようか、と考えはじめていた。
しかし、それはものの一分程だけだった。その後、僕は高岡英夫の合気に釘付けになる。
そのキッカケは、例の受付にいた大柄な男の登場だった。

高岡英夫の合気が目の前でくり広げられているにもかかわらず、全く興味を持てなくなっていた僕は、時間をもてあましていた。

ものの一分ぐらいの時間が非常に長く感じたものだった。

ちょうどその時、合気の相手役がK氏から、大柄な男に変わることになった。
その頃には、すでに彼の名が「下瀬さん」ということはわかっていた。

下瀬さんにバトンタッチしてから、実技の雰囲気は一変した(ように感じた)。

何とか体を残そうとしても、ひっくり返されたり、投げられたり、飛ばされたりする下瀬さんの姿を見て、醒めきっていた僕の認識は改めざるをえなかった。
そして何度目かに大柄な下瀬さんが(高岡先生も大柄だが)体幹部ごと飛ばされて、僕の手前まで来た。
その時の下瀬さんの表情は忘れられない・・・

合気については素人だった僕も「何かとんでもないことが起こっている」ということを感じた。

さんざん下瀬さんを投げたあと、少し話をしてから高岡先生は会場から去っていった。

高岡先生の姿が会場から見えなくなると、残っていた下瀬さんの周りには十数人の人が集まり(その中には僕もいた)、質問を次々と浴びせていた。
「あの合気をかけられた時は、どんな感じだったのか?」「この合気をかけられた時は、何が起こっていたのか?」「K氏と下瀬さんの投げられ方は、なぜ違うのか?」
ひとつひとつの質問に飾り気なく丁寧に答えている下瀬さんの姿を見て「合気については、かなり本当なのかもしれないな」と僕は思った。「でも、合気については素人だし、やはりよく知った打撃系の実技を見なければ、高岡英夫が本物かどうかわからない」と考え、結論は保留、ということにした。

大阪合宿のカリキュラムが終了し、それぞれの参加者が一ヶ所に集まり、最後、高岡先生から話があった。
思い返せば、その頃高岡先生が話をする機会は多く、時間も長くオーバーすることもしばしばだった。今と比べると、なんとなく牧歌的なところがあった。
ゆる、身体意識といったことの下地がなかった時代だったからかもしれない。
で、ゆるについての話を聞き、理解を深め、大いに笑ってから、ふと高岡先生が「ちょっと浦野くん、歌ってくれるかな」といった感じで合宿の参加者の一人だった浦野さんに歌ってくれるよう依頼した。
すると、浦野さんは快く引き受け、会場にいた人たちは拍手をした。
そして普段ならタキシードかなにかを着て、聴衆の前で歌うはずの浦野さんは、Tシャツにジャージ姿のまま、アカペラで歌うことになった。

今じゃこんなこと、考えられない話だ。

ところが、このおまけのような企画が僕に「ゆる」の目を開かせてくれたのだから、人生わからないものである。

合気の実技を見たときと同じく、高岡先生の話を最前列で聞いていた僕は、浦野さんの様子を見逃すまいと注目していた。

最初に歌ったのはオペラの一節か何か、僕の知らない歌だった。

さすが声楽家だけあって声量も並外れていて、歌もうまい。
ただ、もともと声楽家は、そんな人の集まりなんだろう、とも思った。歌うこと、声を出すことも運動だという発想は、当時の僕にはなかったのだった。

ところが、その認識を一変する出来事が起こる。

そうして歌が始まりだしてしばらくすると、浦野さんの体幹部が異常に動くことに気付いた。
声を出し切った直後、息を吸い込む瞬間の動きが尋常ではなかった。目の錯覚かと思う程だった。
「肋骨って、あんなに膨らむものなのか?」
「まるで風船みたいや・・・」
そう思いながら、次のブレスを待つ。そして浦野さんが息を吸うと、また一瞬でブワッと体幹部の形が変わる。
普通の人がお腹や胸へ集中的に息を入れても絶対にあそこまでにはならない。というより、一般人とは比較にならない程、彼岸の隔たりがあった。それくらい違った。

ゆるむと。こうなるのか。
この人の肋骨はゴム?

今思えば、身体のゆるみ具合に人それぞれ大きな差があると初めて実感したのが、この時だった。

この時の浦野さんが歌ったのは、突然だったこともあり、ほんの数曲だった。
最後に選んだのは、イタリア民謡で、誰もが聞き覚えのある歌だった。会場は手拍子で大いに盛り上がった。

短かったが、ぜいたくな時間だった。

そうして、大阪合宿は終了し、僕は特急サンダーバードで帰路についた。
列車の中で「高岡先生の理論は、まだ完全にはわからんけど、話はおもしろいし、講座の雰囲気はいいし、また来たいなぁ」と思っていたら・・・

10年後、今みたいになっちゃいました(笑)!

大阪合宿では、極意の初級を受けていたのだけれど、中級のクラスに「いかにも」という感じで、上はTシャツ、下は空手着の格好をしたゴツイ男性がいたのだが、今にして思えば薮本先生だったのかもしれない(違うかもしれんが)。
あと、小野先生も参加していた。あの頃から小野先生はちょっとした有名人で、衆目を集めていたものだった。

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